お知らせ
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作成日:2010/10/04
経済と経営と歴史の会長レポート



日本の景気はどうなっているか

改正管内閣に代わってから、円高は止まってきた。日銀の為替介入で、デフレも来年中には止まるとみる。但し、景気は回復してもねじまがり現象の回復である。土木、建築、ガソリンスタンド等の景気回復は無いと判断する。不動産、司法書士も厳しい。多くは、中国に引っ張られたねじまがりの回復である。よって他の分野へ業種転換を上手に行うか、中国、東南アジアへ進出するのか二つしかあるまいと考える。デパート、スーパーも中国に出店したり、中国で製造し日本へ輸入し始めている。このような事象は、韓国でも始っている。

経済大国bQの日本は、数年後中国に追い抜かれ、アメリカでさえ10年後には追い抜かれているだろう。

金の話

株で世界長者番付2になった大資産家のウォーレン・バフェットが「最も悪い時にチャンスがある」と言っており、誰にでもチャンスはある。確かにその通りだ。会計事務所という仕事は、そう儲かるものではない。私がかなりの資産家となったのは、やはり株である。

今は、悪い所から脱出しようというタイミングである。定期預金は、1,000万円預けて金利1%。金額にすると税引後8万円である。この金利は、ここ10年位かわらない。

勿論、上場会社の社長や副社長になるか本業で儲けるのが一番である。しかし、その数は少ない。日本の企業の99%は、中小企業かそれに類した企業である。

株は、リスクがあるが、長期で持てばリスクはない。日本水産みずほ銀行ニチイ学館花王エーザイ等は、配当だけでも儲かると言える。ぜひ、金が欲しいという人は、四季報を読み、このチャンスにのってほしい。

 北政所と淀殿

 北政所は、秀吉の正室であり、美人で頭が良い人物だった。淀殿は、秀吉の側室だったが、秀頼を生みおふくさまと呼ばれた。

 秀吉が近江長浜で側室(南殿)をむかえ二人の子を生んだ。秀吉が戦に出ているときに、北政所は三人を毒殺している。また、信長に夫の浮気を訴えている。訴えは口頭だったが、信長のおねに宛てた返書は残っている。南殿毒殺の事実は長浜で文書に残っており、本妙寺という寺には、男の子秀勝の墓がある。私も三度ほど見学している。二人の女は、竹生島に供養されている。

 淀殿は、信長の姪であり、気位が高い。歴史上記録に残る史実は無く、ただ秀頼とお捨(3才で死去)を生んだことしか残っていない。嫉妬の強いおねこと北政所は、関ヶ原の合戦時秀頼の為に強い家康につけと豊臣恩顧の大名に命令した。福島正則、加藤清正、浅野幸長、黒田長政、山内一豊、小早川秀秋等兵五万人余のうち、秀秋など豊臣家の縁者の兵一万七千人は、合戦の途中に裏切っている。北政所は、淀殿が子を生み正室並みとなったのが悔しかったのだろう。子を生んでいる側室には、冷酷に接している。

 淀殿は無能だったらしく、秀頼に武将としての教育を全くしていなかった。

 北政所は、関ヶ原の合戦後も秀頼の為に何も行動しなかった。家康より化粧料一万三千石をもらい、高台寺(京都)を建ててもらう。実家の木下家を豊臣の名で残し、幕末まで存在させている。一つは足守藩(岡山)、もう一つは日出藩(大分)であり、共に豊臣の家名を許されている。子を生んでおらず81才まで生き、三代目将軍家光の時病死した。秀吉が死んで25年、その間、彼女は何を考えて生きたのだろう。

 私の近況

このところ息子の不在が多く、やたらと忙しい。今年は、兄弟で祇園へ行き、9月には孫と行ってきた。本の方はさっぱりと進まない。良いもの書こうとすると、資料集めや取材旅行も大変だ。

来年1月21日にオークラで午後6時より出版パーティーを行う。文芸社の役員長沢理事も出席され、催し物は名人粟谷氏のお能を予定している。11月初めには正式な案内状を発送する。「幕末動乱期の天皇将軍と坂本竜馬達」、「彷徨える戦国大々名大友宗麟」の2冊で3,000円、会費は10,000円。大いに参加していただきたい。

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